東京芸大でのレクチャー 所感

去る6月13日、東京芸術大学上野キャンパスで、芸術情報センター主催の特別講義において1時間半のレクチャーをしました。主催者側の予想20人を遥かに上回る50人近くが来てくれて、いかに匂いや嗅覚の領域へ寄せられる興味が大きいかを実感しました。

レクチャーのテーマは「メディウムとしての匂い - 匂いとアート -」。まず私の作品やプロジェクトをいくつか紹介した後、実際に私が抽出した匂いを嗅いでもらいました。「オランダの匂い」シリーズと、「7人のダンサーの匂い」シリーズです。

中には一般の方もいらっしゃいましたが、多くは美術や音楽を専門としている、すでにその道の学生達。さすが感性は鋭く、質疑応答もやりがいがありました。視覚や聴覚との比較に考えを及ぼしている生徒も多くいたようです。学生が書いてくれた感想もとてもいいフィードバックになりました。ここに抜粋して紹介します。


  • 人は見たことのあるものしか見られない、というのが"視覚"、ということを常々考えて来ましたが、嗅覚も同じだと知りました。私も匂いはメディアだと思います!
  • 自分の制作でも今、五感を意識するコトが、生きることなんじゃないかと思い、視覚以外のものもテーマにやってみようと思ってた所に、たまたま上田先生の講義のポスターを見て来ました。 -中略- 上田先生の"匂い"の表現は、感覚で直接私の中に入ってきて、色んな想像的な世界の匂いをもっともっと嗅ぎたいとワクワクしてる自分がいました。アートの可能性がまた広がったんだなーとうれしく思います。この場に出会えて良かったです。
  • いつも視覚的な情報を追ってしまうことが多いが、これからはにおいにも目を向けてみようと思う。人間に比べ犬はとても嗅覚が優れているというが、犬はどんだけにおいを楽しんでいるんだろう。一回犬になって味わってみたいです。
  • 匂いという存在じたいが目では見えない存在で、一見素朴な存在なように見えたのですが、見えない分だけもしかしたらものすごく大きな存在なのかもなあと思いました。たぶん、物が存在している限り匂いというものは存在しているので、ずっと昔から存在している空気と一緒のようなもの。なんだか大きなつつみこむようなものに感じます。
  • 匂いを抽出したり混ぜるときの考え方が「色」や「音」と非常に似通っていることは、考えてみれば当然のことかもしれませんが、非常に新鮮でもありました。そういう意味でも、コミュニケーション・ツール(メディア)としての「匂い」がもっと注目されてもいいのかもしれません。鼻が匂いに慣れてしまうことへの対処の必要性などは、音楽でも全く同じではないかと感じました。
  • 目に見えないものを扱う・展示する作品を考えるきっかけになった。風、熱、紫外線、音etc...
  • 芽キャベツ!凄かった。確かに日本の漬け物なんかの傾向に近い感じが・・・
  • 日本の香り、オランダの香りというのは下手に絵とか建築よりかなり生々しくその国の文化を反映しているように思った。
  • 文化って空気がつくってるんだなーと感じたことがあって、「空間」への意識はこれから自分の中でもう少し煮詰めてみたいです。
  • 香をどう消すか、その問題を解決できれば、記号的、ひいては言語的に使うことができそうだと私はずっと考えております。
  • においは記憶に結びついている。非物質化のひとつの試み。コミュニケーションの手段になると思う。日本には香道という世界も残っている。
  • 汗のにおいが予想外によい香りでビックリでした。
  • 見るとか、聴くとか、そのものをイメージするのにはとても重要だと思いますが、臭いは瞬間的にイメージが沸くので、すごく分かりやすい伝達手段だと感じました。もう少しいろんな身近にあるものの臭いに敏感になったら、とてもおもしろい発見ができそうです。
  • 科学とキッチンをつなぐというか、料理の方から科学やアートを見る、というのがたいへんおもしろかったです。
  • どの匂いもおそるおそる体験させていただきました。一番勇気がいる匂いだったのが、ダンサーの匂いでした。嗅いだ直後は何か強烈なインパクトを受けましたが、時間が経って気がついてみると、何の匂いともつかぬ、初めの印象とはまるっきりちがうやさしい繊細な感覚を覚えました。匂いを嗅ぐ時、周りにあるものの記憶なんかも匂いを感じる条件としてあるんじゃないかなと思いました。例えば、台所にある魚のアラとか使い古したまな板の色や質感など・・・匂いとその匂いを発してる物が質感や風景、環境から切り離されて「匂い」というものが存在した時、それはどんな感覚に働きかけているのだろう?
  • 匂い立つような音楽とか、土臭い表現、という言葉があって、感覚はけっこう嗅覚による部分が多いと思います。

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